デスウィッシュ
 1974年チャールズ・ブロンソン主演で製作された、邦題「狼よさらば」のリメイク作品だ。旧作は好評で、その後シリーズ化され計5作品作られた。シリーズ第一作も原題は“Death Wish”。今回は原題をそのままカタカナにして公開されたが、これは最近よくあること。「マグニフィシェント・セブン」もそうだった。

 面白いのは、当時のシリーズ作品が邦題では第二作以降「ロサンゼルス」「スーパー・マグナム」等々と、作品ごとに全く違うのに対して、原題は“Death WishⅡ” “Death Wish3”・・・とちゃんとナンバリング・タイトルになっていたことだ。
当時日本ではチャールズ・ブロンソンは絶大な人気を誇っていた。彼の主演作というだけで客を呼べる状況であり、さらに単なる続編というイメージを付けたくなかった日本の配給会社の意向があった一方、本国ではそこまで俳優の人気に頼れず、第一作の高評価をあくまでも利用しながら、シリーズ作品として製作が続けられていた、と(勝手ながら)考えると納得だ。
 ただ、シリーズ作品の内容は回を追うごとに低下し、典型的B級作品群となっていったことは想像するに難しくないだろう。
 
 さて、映画の中味は今回の主演ブルース・ウィルス演じる救急外科医が、強盗に妻を殺され、娘を昏睡状態にされたことから、夜の街に出て行き、警察に頼らず自分の手で悪党どもを始末し始めるという、今ではあまり珍しくないストーリーだ。自警団(ビジランテ“Vigilante”)ものというレッテルさえある。
 すぐ思いつくのは、ジョディ・フォスター主演の「ブレイブワン」だろう。
 だから、こうしたジャンルの、ある意味先駆けとなり、当時はそのバイオレンス描写とあいまって世の中に衝撃を与えた作品ながら、今では展開に新鮮味を欠くことになった内容の映画をわざわざリメイクする意味がどこにあったか考えてしまう。
 銃の所持に対する議論が延々と続く米国で、一定の答えを出す意味もあるのだろう。それ故に、この作品への批判も結構多いらしい。

 ビジランテものによくあるパターンだが、主人公の行動に「死神」か「英雄」か、と議論が巻き起こる。
 ここでの「死神」は“The Grim Reaper”と呼ばれている。今回初めてその名を知ったが、“The Grim Reaper”は大鎌を持った格好で、よく西洋の絵画などに出てくるあの骸骨らしい。黒ずくめでフードをしている。
 主人公が「パーカー」の「フード」で顔を隠して夜の街を徘徊するからそう呼ばれるのだろうが、この「パーカー」は英語では“Hoody”と言うようだ。
 「英雄」は“Folk Hero”と呼ばれ、「守護天使」(“Guardian Angel”)とも言われる。
そして“Is he a hero or is it wrong? ” と議論される。“Hero or Zero?”なんていう表現も出てきた。
 その行動を正当化するのは、“If a man really wants to protect what’s his, he has to do it for himself.”(「ひとが本当に自分のものを守りたいなら、自力でやるしかないんだ」拙訳)という、主人公の義父のせりふだ。(なお、“for himself“のforは無くてもいいように思っていたが、「自力で」と強調する際には使うようだ)
 その意味するところには賛同できるが、その結果や影響には大いに疑問が残るというのが大抵のひとの感じるところだろう。
 だが、この映画の結末に、ある種の爽快感を感じてしまうのも事実。世の中そう単純じゃないんだ。